あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談
「赤ちゃんのお風呂」 上ノ山 66歳男性 2005年12月号
あの中越大地震から一年が経過した。あちらこちらに新しい家が建ち始め、下水道や道路の補修工事が各地で行われていて、交通渋滞が起きるくらいに、支援のための県外ナンバー車が目につく。復興は着実に進んでいる。だが、あの恐怖は鮮明に記憶され、長年脳裏から離れることはないだろう。
あの時私は市民会館事務室に一人でいた。突然「ズッシーン」一瞬突き上げられたような感じがした。何だ!そのあとあの堅牢な建物が「グラグラグラ」地震だ!!大ホールでなつメロの皆さんが、明日の発表会に備えて準備万端リハーサル中であった。「皆外に出て!!」皆さん取るものも取らずに駆け足で、市民体育館駐車場に無事23名が避難した。(今思うと本番中でなくてよかったと胸をなでおろす)
地震発生直後から電話も携帯も通じず連絡は一切途絶えた。全て身の周りの状況を見ながら行動するしかなかった。それから強い余震が何度も襲ってきた。あの大きな体育館が揺れて二階のサッシが次々と外れ落ち「ガチャーン、ガチャーン」停電となっているあちこちで「キャー」という悲鳴が聞こえる。地面に立っていることができず四つんばいになった。この強い揺れと破壊音が交錯して大人でさえこれからどうなるだろうかと不安と恐怖がよぎった。
まもなく職員が駆けつけて来てくれて心強かった。余震が少し治まった頃に、大ホールに置いてきた車の鍵や財布を交代交代で素早く取りに行って来た。その時はもう舞台照明の照明セットや事務室の中は滅茶苦茶であった。街の方から車が連なり、毛布をかぶったり、レジャーシート等を抱えた人達がぞろぞろと避難してくる。
「トランスが落ちそうだから、電柱の近くを通らないで」「どこに行ったらいいですか?」「グランドの真ん中へ行って下さい!」と誘導を続けた。「平成町で家がつぶれています!」「上ノ山でもつぶれています!」避難してくる人達が次々と情報をくれて、これは大変なことになっているとおもった。
満月で明るく星空にヘリコプターが何機も灯りを点滅しながら飛んでいる寒い夜であった。若い職員が市民の家へ毛布を取りに行って来るという。まだ余震が続いている中「気をつけて!!」彼等が満載して来てくれた毛布はアッと言う間になくなり二度三度と最後には布団まで積んで来てくれて、大勢の人が寒さをしのぐことができて喜ばれた。
しばらくしてからグランドに行って見た。すでに人と車でほぼ一杯になっていた。どこから調達したのか荷物置用のパレットの上に何人かでいる人。相撲場の土俵上に陣取っている人。一番感心したのは、誰が整理した訳でもないのに、車は縦方向に整然と並んでいた。最初の車の向きに習って並んだのだろうか?いつの間にか辺りがうっすらと明るくなってきた頃ようやく(家に行ってみよう)と思った。
家は大変な状態!廊下の壁は落ち、家具は倒れ、テレビやレンジは飛んでいる。仏壇を元の位置に戻し、冷蔵庫から飛び出した食品だけを拭き取り、後は取り敢えずそのままにしておくことにする。
それから8日間車中泊が続いた。幸い長女の家の近くの駐車場を借り、次女夫婦も皆で一緒にいることができて良かった。長女は9月27日に男の子を出産、まだ1ヶ月もたっていない赤ちゃんがいる。次女は妊娠6ヶ月でお腹が大きい。昼間は車庫の中で過ごし、トイレの時だけ家に入る生活が続いた。その時、近所のお母さん達が手に手に鍋やヤカンを持って来てくれた。「これで赤ちゃんをお風呂に入れてください!」お湯を沸かしてきてくれた。私はこの突然の心温まる配慮に自分が恥ずかしく思えた。赤ちゃんをお風呂に入れてやることなど全く気付く余裕さえなかったからである。
早速風呂の準備をして、手足を伸ばして気持ちよさそうに入浴している赤ちゃんを見て目頭が熱くなった。お風呂が終わってから長女と近所の人達が集まって煮炊きしている車庫のところに礼に行った。皆さんでカセットコンロや練炭コンロでお湯を沸かして持って来てきれたのだ。「ありがとうございます」長女も涙を拭きながら礼を言っていた。長女達はこの地に家を建て移り住んでからまだ年数が浅いのに、近所の皆さんから本当に良くして貰っている。物資の配給の場にミルクやオムツがあったからと少しずつ貰って来ていただいて大変助かりました。
この地震で私たちは大きな物的損失や精神的な衝撃を受けた。その反面、目に見えない貴重な体験をした。隣近所の絆の大切さも実感した。小学生の孫たちが飲み水やトイレに流す水汲みまで自発的に自分に出来ることは何かを見つけ行動した。遠くにいる親戚からお見舞いを貰ったり、地震の翌日に松本から車で一日かかって飲料水や食料品を届けに来てくれた友人等一層親交を深めた。
地震直後は大変な思いはしたけれども、全国から心のこもった沢山の支援物資をいただいてありがとうございました。また、自衛隊やボランティアの皆さん、本当に親身になって接していただいてありがとうございました。お疲れさまでした。
本当に困った時に助けていただいたこの気持ちをいつまでも忘れないように、いつか今度は、自分にできることがあったら一生懸命恩返しをしよう。まだ大勢の方々が家に帰ることができず、狭い仮設住宅で不自由な生活をされている。皆で知恵をだし協力しながら地震の前の生活より、一層豊で楽しい暮らしが一日も早く来ることを願ってやまない。
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