あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談 思いがけない災難 城内 76歳女性 2005年5月号
昨年(2003年)六月、今までになく十日間も風邪で寝込み、翌七月には白内障の手術を二回も受、その頃から体調を崩し始めていたのに歳を考えず大丈夫と思い込み無理がたたり、とうとう十月初め入院してしまい、うつ病と診断されてしまった。
忘れる事の出来ないあの忌まわしい二十三日には、自宅で休養。今日は一人で久しぶりの洗髪後、夕食でもと思っていた矢先、前ぶれもなく突然グラッと頭上のサークラインの電球が二本ぶら下がり、上を向くと同時に部屋の目の前の板戸が横半分に割れて倒れて倒れ、テレビはキャスターごと動き出した。
「アッ、これは地震だ!」と思い、屋外にでるのが一番と、急いでドアを開けたが開かない!隣の襖を全力で押し開け、内玄関に出たところですでに下駄箱は倒れ、段差を見つけ「頭隠して尻隠さず」の格好で伏してしまった。
いつもの地震ならもう収まるはず、さて、頭にかぶる座布団と懐中電灯を取りに行こうと立ち上がるが、またしても揺れがひどく、中止!地に伏して神仏に祈るばかり。ガタガタと雨戸の揺れる音だけが聞こえていた。
二、三十分もした頃であろうか、ようやく立ち上がり、真っ暗な部屋に入った。ピリピリピリ、といつもと違う電話の音に受話器を取ろうとしたが足元は見えず、電話機も戸棚の中身も皆飛び出して散乱した陶器をバリバリと踏みながら音の鳴る物を手でつかみ耳にあてた。孫の声で「おばあちゃん大丈夫?何回もかけていたんだよ。」と言う。「大丈夫だけど・・・アッまた揺れた!これが私の最後かもね。切るよ!」「ヤダーッ!」・・・・・しかし、これで東京方面の親戚には通じたことにして、こちらは安心できた。
懐中電灯と座布団を抱え、とにかく外に出ようと玄関の引き戸の壊れていたところから、ようやく身体を押し込みながら出て、外の空気を吸うことができた。「あー救われた!」と思い、お隣さんの所にはすでに数人集まっていたので合流させてもらい、一夜をお向かいさんの車の中で寝かせていただき、ありがたかった。夜空には、地上のことなど知らぬように真ん丸お月さまが輝いていた。明けて二日目は晴天。まだ時々余震が続き、誰となく近所の法務局に集まり始めていた。どこからも情報はまったく入らず、電気、ガス、水道は止まったまま。ただ運よく市役所に近かったので誰かが耳にはさんだこと、見たことなどを皆に知らせてくれた。そのうち町内会の方からも連絡が入り、自衛隊からも応援が来て、市役所で炊き出しが始まり、水も配給があり、段々集まりが形作られて二十名のグループになった。
法務局の方も協力してくれて、車庫も局舎の一部も気持ちよく貸してくれたので、若い人達は協力して炊事をしてくれてありがたく、和気アイアイの数日間だった。そのうち電気、水道が来てくれそれぞれ家路へと帰り始めた。
余震の度に飛び起き不安の日々もあったが、気がついた時には私のうつ病はすっかり治っていたことは不幸中の幸いだった。 しかし、家は「危険」の赤紙が貼られ、雪の降る前に取り壊した。
くじ運が弱い私としては仮設住宅は当たらないと思っていたが、幸い入居でき、知人には「仮設はいいよぉ。寝室のすぐ前はトイレ、お風呂付。まるでホテルみたい。」と誇っている。
最後に、この震災に際し、ボランティアの方の労働はもとより、全国の皆様から援助していただき本当にありがとうございました。 |
|