あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談 出産・地震の中で 岩沢 30歳代女性 2005年5月号
その日、出産予定を10日後に控え、夫と子供の3人で食事に出掛けました。食事の前に子供とジャスコのゲームコーナーで遊んでいる時にその揺れが始まりました。ドドドドと揺れ始めたとき、最初は誰か走っているはずみで揺れているのかと思ったが、その揺れの大きさに地震と気がついた。子供に手を伸ばした瞬間、想像した事のない程の大きな揺れにかわった。倒れこむように床に伏せ、子供の上に覆いかぶさっている間、大分長い時間に感じた。「お腹の子は」と気にかかったが、「私の腹の中にいるうちは大丈夫、それよりもまず目の前にいるこの子は」と思った。子供を守るというよりも、実際は子供にしがみ付きながら「ここが崩れ落ちるかも」と思った時、少し離れた所にいた夫が飛んできて私達の上に覆いかぶさってくれた。3人で折り重なっている間、天井のスプリンクラーが発動し全身水浸しになった。
揺れが収まり頭を上げた時には景色が一変していた。自家発電があったのか真っ暗ではなかった。品物やマネキンが床に散乱し、あちこち崩れ落ちた壁や天井などの欠片が舞っていたのか、全体が白く煙っていた。「早くここを出なければ崩れる」そう思い、走って外へ出た。幸いその日は不思議なほど客がおらず、逃げるために混乱が起きるような事はなかった。駐車場に止めてある車の所に着くまでに2回目3回目の余震。その間、ジャスコの従業員の方が2回3回と見回りに来てくれた。あの状態でお客様の安否を確認する冷静な対応に、仕事の一環とはいえ驚いた。若い男性の従業員が、興奮している息子に明るく冗談まで言って元気付けてくれた。
余震が多少収まり家に帰ろうと車を走らせた。見慣れたはずの帰り道は、まるで夢の中を走っているようだった。あちこちの道や家が崩れ、どうしても帰る道が見つからなかった。歩いて帰ることも考えたが、その日朝からいつもと様子の違った腹の事を思い止めた。帰る道が見つからず、仕方なく田んぼの真ん中に車を止めた。これからどうなるのか、家はどうなっているのかと考えているうち、お腹が痛みだした。まさかと思ったが、だんだんと痛みの感覚が短くなる腹をさすり、「せめてあと1週間待って」と願った。けれどもお腹の痛みはどんどん強くなる。様子のおかしい私に夫が気づき、病院に行くよう勧めた。地震で興奮していたせいか、思いのほか陣痛は強く感じられない。混乱しているだろう病院に行くのはためらわれたが、病院までの道が通れないような事になってはと、せめて病院の近くまで行こうと思った。
魚沼病院前のJA駐車場に車をとめ、陣痛の様子をみていた。痛みが5分間間隔になり、ついに病院へ入った。中に入るとすぐに看護師さんが駆け寄ってきてくれた。それまで興奮して寒くなかったが、病院に入って安心したのかスプリンクラーで全身水浴びしたままの体が初めて寒く感じ、震えが止まらなくなった。その後すぐに分娩室へ。気がかりだった子供と夫に助産師さんが休む場所を用意してくれたおかげで安心して分娩台に上がる事ができた。分娩台の上でも何度も起こる余震。その度に助産師さんが私の上に覆いかぶさってくれた。自分の家族のことを思えばすぐにでも家に帰りたいだろうに、仕事とはいえ守ってくれている事に、ただ感謝するのみだった。お産は軽く、その後約1時間後、午前1時03分に出産。文字通り、先生や助産師さんに守られた出産だった。あの時の先生の驚くほどの落ち着いた様子は、今思うと可笑しいほどだ。
普通はその後、何日かは新生児室で赤ちゃんを預かってもらうはずだが、あの時は安全の為生まれた時から子供とずっと一緒だった。そのまま泊めて頂いた夫と上の子、生まれた子の3人の横で、眠れぬ朝を迎えた。思わぬ出産と、現実か夢なのかわからぬ状態、外はどうなっているのか、不安を感じながら寝ている3人を見ていると、上の子が目を覚ました。私を見ると嬉しそうに、「ママ、赤ちゃん生まれてよかったね。」と笑顔で言ってくれた子供の言葉に胸が一杯になった。
半年たった今、壊れた家や道を見てもまだあれは夢でなかったのだろうかと信じられない。けれどもあの時生まれたこの子を見ていると、時間は止まっていないと感じる。
あの時お世話になった先生、病院のスタッフの皆さんにこの場を借りてお礼を言わせてください。本当に有難うございました。 |
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