おぢやファンクラブ2004.10.23
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2004年10月23日午後5時56分

今までに体験したことのない揺れが小千谷市を襲いました。
新潟県中越大震災。山が崩れ、道路は陥没し、ライフラインもすべて寸断。
暗闇の中、次々と襲う大きな余震は人々を恐怖と混乱に陥れました。

あの日、あの時。小千谷市ボランティアセンター発行の広報紙「いーねか」には
小千谷市民から寄せられた、たくさんの体験談が掲載されています。
震災の語り部としてご紹介させていただきます。
いーねか震災復旧状況の写真はこちらから
「いーねか」定価800円 
あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談

地震・その時 61歳女性 2005年7月号

この日長岡医師会館にて、パーキンソン病公開セミナーが開かれ、小出・堀之内・小千谷の友人と4名で参加した。
パーキンソン病について」新潟大学脳研究所神経内科西沢正豊教授の話しを聞き、国立犀潟病院理学療法士長近藤さんより、リハビリ教室が行われ多数の方が参加、分かりやすく指導してくれた。また、1週間後の1泊研修旅行での再会を楽しみに帰路につく。小千谷の友人を家まで送り川口回りで堀之内に向かった。下島でガソリンを入れ少し走った所で車が急に大きく揺れ、電気が全部消えた。電柱がゆらゆら、すぐに地震とはわからず、前の車が端に止まったので私も車を止めて、大丈夫な所を探して端に止まった。最初は何が何だか理解できなかった。車のタイヤ4本とも同時にパンクでもしたかのような突き上げるような大きな揺れだった。後部座席に2人の友人が乗っていてくれたのでとても心強く助かった。
友人が「ラジオ・・・」と言ったのですぐスイッチをいれた。大きな大きな地震でした。次々と続く大きな余震の中を堀之内と小出の友人を送らなければと、信号機も消えたデコボコ道を(地震でデコボコになった道)大きく揺れながら走り続けた。
堀之内の友人の家まできたら、ご主人と娘さんが玄関の外で待っていてくれてホッとした。小出の友人は自分の車を運転して帰ると言うので、余震が続く中ゆっくりゆっくり信号機のついていない真っ暗い道を走っていく。ご主人が奥さんの帰りを心配そうに待っていてくれた。
友人の家族皆が怪我もなく会えた事に一番ホッとして帰路についた私でした。殆どの人が初めて大きな地震を体験したと思うが全てのライフラインは駄目、尊い命が奪われ地震の怖さを知ったのは、数日が過ぎてからかもしれません。
帰り、下島をすぎて和南津トンネルの手前でストップそこで何時間も待つことになった。
携帯電話は何処にも通じず、不安がだんだん大きくなってきたところに、主人から携帯電話が入った。声を聞いた時は本当にうれしかった。100回くらいのリダイヤルでやっと連絡がとれたと言った。「家の近くのグランドに避難して」と言ったのですが「山が崩れて車では行けない」と言われ、まだ小千谷の状況が理解できていない私でした。
皆の顔がうかびけがはないか?食事は?薬は?と次から次へと不安が広がってきた。
悲惨な地震にもかかわらず、いくつかの偶然が私を助けてくれた。

・車のガソリンが満タンだったこと。
・車の同乗者がパンを持っていてわけてくれたこと。(和南津トンネルの近くで小千谷に帰る人と一緒になった。)
・車の中にはいつもクッションが入っている。(大きく広がる)そして携帯電話を充電するコードが用意してあったこと。
・和南津トンネルがだめならと、八ヶ峠を越えて岩沢の橋まで行ったがだめ。下条から真人にむかった。真人の入り口でストップ。どうしても小千谷に帰りたいとたのんで通してもらう。車で行けるところまで行って後は歩いた。主人が歩いて迎えに来てくれたのでとても助かった。
・家にいたら命はなかったかもしれない。自宅近くにやっと着き、主人は見ない方がいいと言ったが、見てビックリ!大きな大きな岩が台所とお風呂場に飛び込んできてた。パーキンソンの公開セミナーに参加させてもらっていたので難を逃れた。
・母も近所の方も怪我は無くよかった。

何日か過ぎてやっと小千谷の友人宅へ、2人で抱き合って泣いた。
パーキンソン病友の会の会長より2名の会員の方に連絡が取れないと言ったのですぐ本部へ、本部の職員の方はとても親切に連絡をとってくれた。
震災で失ったものは沢山ありましたが、新しい沢山の出会いと多くの方々の支援に心から感謝しているこの頃です。

復興はこれからが本番だと思います。雪が消えて周りがよく見えてきました。子供から大人まで心の傷は大きく・・・でも人間は支え合い助け合って生きていけると信じてます。
皆でまた、笑える日が来ることを願って小さな力ですが協力できたらうれしいです。
最後に小千谷市ボランティアセンターの方が小千谷市民全員が被災者ですと言った言葉が心にしみています。
あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談

みんなドラマがあった 時の島 40歳代女性 2005年9月号

いろんな人から10月23日の地震の話をお聞きする機会がある。ついつい話に夢中になってします。それほど1人1人にドラマがあるのだ。

10月23日土曜日、私は夕食の仕度をしていた。新潟にいる娘を除き、母、主人、長男、私は家に居た。最初、あれ地震だすぐ止むだろうと思った。しかし、すごいゆれが身体をおそった。うそっと思った。立っていられなかった。すぐに電気が消えた。母が「地震だ、ガスの元栓をしめて!」と叫んだ。私は一瞬頭が真っ白で元栓?どこだ?そうだここだと暗闇の中で止めた。母が懐中電灯を持って来て、「早く外にでよう」といった。そういえば主人と長男が2階にいることに気付き「だいじょうぶー?」と叫びながらかけのぼった。障子戸がはずれたり、タンスが倒れたりしていたが、2人とも無事で皆で外にでた。近所の人達も集まっていた。大変なことがことがわかった。我が家のプロパンガスがプロパンガス置場とともに壊れ、倒れていてすごいガス漏れの音が聞こえていた。近くの道路にはすでに渋滞になっている車がズラリ。引火して爆発する事はないのだろうか?一瞬恐怖がおそった。家の中でなく外で倒れていて、ガスが拡散するので大丈夫との事。後でたまたま残っていた近くのガソリンスタンドの方と、主人でプロパンガスのコックをしめた。

近所の人達で、福祉センターみなみに避難した。広場にシートを敷き、残っていた職員の方が毛布や靴下を提供してくれた。月夜で寒い夜だったので、大変ありがたかった。道路が寸断されたので車で立ち往生されてしまった方も大勢いて、一緒に余震と寒さに耐えた。三条の方がいて、「水害にあってここでまたこんな地震に遭遇するなんで。」としみじみと言っていた。月が最高に澄んで見えた。あの月は忘れられないほどきれいだった。

主人が家に戻ってラジオと携帯とありったけのお菓子を持ってきた。携帯で娘の所にかけたがなかなか通じなく、情報がほとんどない。被災者はなにひとつ分らないのに。

近所の人もお菓子を持ってきていたので、大きな袋にみんなあけて近所のお母さんと広場にいる人達に配った。考えたら夕食を食べていなかった。おせんべいであったが美味しかった。結局寒さがお年寄りに良くないとの事で、センターの建物内に全員で移動し、夜が明けるのを待った。

夜明けとともに町内会長さんの指示で持ち寄ったお米で、近所のお母さん方と炊き出しのおにぎり作りをした。プロパンガス、ガスコンロ、ガスがまが調達されてあった。チームワークと団結力を感じた。皆が清掃をしたり、水をくんだり、今思えば10日間の避難所生活であったが秩序があった。規則正しい生活で決して悪い環境ではなかった。

福祉センターみなみの職員の方にもほんとに感謝。お年寄りも比較的元気である。おじいちゃんに「戦争の時に比べればなんのこれしき」と言われた。確かにそうかと思った。パワーをもらった。避難所生活のおかげで、普段は話をしない人とも話をすることができた。そして、地震翌日の朝にバイクで八王子から水を持ってきてくれた男性には感動した。その他にも大勢の人から感動をもらった。人はささえあって生きているんだと実感し、本当に、感謝の念をいだいた。もう二度としたくないが貴重な体験をし、ドラマがあった事にはまちがいない。
●バックナンバー
NO4 2005年7月号〜9月号掲載分
NO3 2005年5月号〜6月号掲載分
NO2 2005年4月号〜5月号掲載分
NO1 2005年4月号掲載分
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