あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談
あの時 塩殿 34歳女性 2005年10月号
昨年の地震から早いもので、もう10ヶ月が過ぎました。改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
あの日、家には母の実家(川口)から祖母が来ていました。夕飯の支度をしていた母、ストーブ側に祖母が2人、お風呂に入っていた父、いつもと変わらぬ夕方でした。父が風呂から上がり、私は飯台におかずを出していました。その時でした!突然ドーンと言う音と、もの凄い揺れ。一瞬何がおきたのか解りませんでした。母は驚きのあまり声が震え、立ちすくんでいました。私の祖母はリュウマチで、足が不自由なため、椅子に腰掛けたままで、川口の祖母はその隣に座って、ただ「おごった。おごった。」と言ってたのは覚えています。
最初の揺れで一瞬電気が消えてしまったので、台所に居た母は懐中電灯を持ちだし、父と一緒に祖母2人をなんとか外に連れ出し、車の中に避難させました。私はというと、ガスの元栓を切り、ストーブを消し、とりあえず寒くないように、タオルと箪笥から上着等手当たり次第に持ち出していました。我が家には犬がいます。犬も恐がり震えていました。しばらくして、町内の人達が見回りに来て、「家の前に車を止めておくと危険だから」と言われ農道に車を移動し、外に居ました。携帯電話のメールで三条に住む兄に、家族の無事と家も崩れることなく建ってる事を伝え、川口の祖母も一緒に居る事も伝えました。川口の叔母は旅行中だったので、連絡が取れずにいました。従姉妹の携帯が唯一解っていたので、祖母の無事を叔母に伝えてもらいました。そうこうしていたら、父がゴザを持ってきて敷き始めていました。私も家に行き、豆炭コタツを持ち出していました。幸いにも家にはプロパンガスがあったので、豆炭もおこす事ができました。時間が経つにつれ寒くなり、外で過ごすのも困難になってきた時でした。近所のお爺さんが「家の丸車庫(かまぼこ型)に入ろうや。あこならあちこたねぇすけ、ねらそうしようや。」その声に甘え、車庫に敷物を敷き、外に出していたコタツを持って行きました。お爺さんも家からコタツを持ってきてくれました。まだ揺れているなか、皆で片付け毛布や布団を持ち寄り、石油ストーブを点けて暖をとっていました。車の中にいた祖母2人も連れて、共同生活が始まりました。深夜になってようやく家に着いた隣のおばさんは、皆が無事で良かったと安心していました。とにかく不安な夜を暖かい車庫で過ごしました。
翌朝、起きるとご飯の用意を母達がしていました。ご飯をツバ釜で炊き、味噌汁も作り、遅くなったが皆で温かい朝食を取ることができました。その時、兄が軽トラいっぱいに食料など物資を持って来ました。兄は驚いていました。隣の部落に居る友達から、食料を持ってきて欲しいと連絡があったらしく、私たち家族や近所の人達が、お腹を空かしていると思って、心配していたからでした。来るまでの間、道路の隆起や陥没。そして家屋の倒壊。悲惨な光景を見てきた兄は、我が家を見てホッとしていました。築80年以上経っているので、もしかしたら・・・と思ったそうです。
どこの家でも片づけを始めていました。1軒の家は、車庫をなんとか住めるようにして、家に入れるまでそこにいました。もう1軒も車庫を片づけていました。祖母達は車庫の中に居るだけでした。片付けの合間を見て、畑に行き大根・白菜・キャベツを採って来たりしていました。次の日、携帯電話の充電をしに、「福祉センターみなみ」に行ってみました。そこも避難している人が大勢いました。祖母達だけでも、そこに来ることができたら・・・。トイレも有るし、中は暖かい。何より楽に寝起きが出来るのでは・・・。そう思い、一旦皆の居る車庫に戻り、相談してみた。出来ることなら・・・と言うことで、館長さんにお願いしてみた。「付添いの人が一人居れば」と言って下さった。トイレの近くの部屋を貸してくれました。その間に川口の叔母が来てくれていました。祖母は一緒に帰るつもりでしたが、叔母に「もう少しここに居たほうが良いから」と言われ寂しそうにしていました。無理もなかったのです。川口に行くのに、途中までしか車が通れなかったのです。それから2晩私が付き添いで、福祉センターにお世話になりました。そして27日、上越の叔父(母の弟)が来て、「家に来ないか?」と言ってくれました。川口の祖母はうつむいたままでした。その時突然また凄く揺れたので「いつまたこんな地震が来るか解らないよ。叔父さんの家なら、お風呂にも入れるし、テレビも観れる。私だって、いつ迄も付き添っていられないの」そう言うと仕方なく同意し、上越の家に避難することになったのです。身支度をしている時、川口の祖母は「家に帰りたい。帰って着替えと薬を持ってきてぇ」何度も言っていました。着替えは私の祖母の物で我慢してもらい、薬は叔父が後日取りに行き、届けてくれました。川口の祖母は糖尿病でインシュリン投与をしています。そのため行きつけの病院に連絡して、上越の病院に治療状況や処方箋等教えて欲しいと、お願いしました。私の祖母も同様でした。どこの病院も引き受けてくれたので、助かりました。1ヶ月もの間、上越に避難して、帰ってきた時の祖母達は、とても嬉しそうでした。地震から1週間して、ようやく電気が使えるようになった時、車庫にテレビを持ち込み、皆で診ていた事や、ご飯のときは4世帯で、寝るときは3世帯で犬も一緒に休んでいた事など話しました。近所の親戚の人が、何度も物資を持って訪ねてきてくれた事、上越の従兄弟も千葉に就職しているのに、少しでも手伝える事があればと、来てくれたことも・・・皆で協力して乗り越えて来た出来事でした。
そして、もうじき稲刈りも始まります。小千谷の復興に向けて、皆で頑張っていきましょう。そして、朝晩冷えてきました。体調にも気をつけていきましょう。
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