あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談
誇りの故郷 東京都杉並区・出身:旭町 男性 2005年10月号
東京在住の私が故郷の震災の第一報を受けたのは、JR山手線車内であった。友人から「地震大丈夫かー?」と携帯電話にメールが入ったのだった。
渋谷にある勤務先の事務所に戻り、震度6以上の強い地震が起き、しかも震源が小千谷市付近だと知った時、頭の中が真っ白になった。
何よりも真っ先に頭に浮かんだのは「家族は無事か」という事だ。人としての自然の情けであろう。電話をかけ続けるもつながらず不安が募る。携帯電話の通話がパンクしたのも当然である。全国でどれ程多くの、同じ思いの人がいたかは想像もできない。
とても仕事が手につく心境で無く、あがらせてもらった。やがて20時頃に双子の兄から電話があり、取りあえず家族の身は無事であると知った時の安堵感は忘れられない。
西武新宿線の井荻駅に降りた私は、迷わずに小千谷学生寮へ足を運んだ。学生時代、私も4年間寝起きしお世話になった小千谷市所有の学生寮である。寮の食堂に駆け込むと、ちょうど昼に寮の駐車場で開催されていた毎回大好評の物産展「小千谷フェア」のために小千谷のJAの方々が大勢いらっしゃっていた。また、小千谷の一大事を知り、私と同じように、近郊に在住している寮OB達も駆け付けていた。
皆、テレビを不安そうに見つめていた。まだ、家族と連絡が取れず電話をかけ続けている人もいた。
テレビの空撮映像に映る小千谷の街並みは停電で漆黒の闇に包まれ、何が起きているのか、様子がつかめない。そんな中、JAの方々は近隣のコンビニで食料等を買い込み、トラックに満載して小千谷へ出発しようと交通情報を待ちわびていた。
騒然とした「あの夜」の小千谷寮の食堂の光景は忘れられない。
さて私たち小千谷市(及び旧・山古志村)が誇る伝統習俗に、越後闘牛「牛の角突き」がある。私は親族が角突き牛を所有している事もあり、いつしか角突きの魅力にひき込まれ、今に至っているが、21世紀の現代にあって、これ程までに目先の利益や損得勘定から離れた純粋な「熱き思い」と「心意気」を見せてくれるものは他にはないと思っている。国重要無形民俗文化財指定。重さ1トンもの牛達がぶつかり合う迫力。勢子(闘牛士)たちが見せる技と勇気。千年も続くと言われる伝統、土俗的な香りが渾然一体となって壮麗な合戦屏風の様に眼前に繰り広げられる様は圧巻である。
震災により、想像を絶する避難生活が始まった。断腸の思いで別れてきた家族同然の愛牛達はまだ生きているのだろうか。「せめて少しでも長生きしてくれ・・・」別れ際に鼻綱を切って、野に放たれた牛達もいた。
「このまま見殺しにはできない。何としても牛達を助け出す・・・」余震が続く危険な状況の中、男達は東山地区へ入り、泥まみれになりながら命がけで牛達を救出した。
市の内外へ避難した牛達を、男達は交替で寝ずに世話をした。いつの日か、角突きを再開することのできる日が来る事を信じて。
正月に帰省した私は双子の兄や、若手の勢子達が角突き復活に向けて深夜まで激論を交わす姿を見た・・・できれば例年通りに5月の連休にやりたいが、闘牛場がある小栗山近辺の被害は甚大で避難勧告解除のメドは立たない。それでは仮設闘牛場はどうか。信濃川河川敷は?
「お前もう一度言ってみろ、ザマッタレが、外に出ろや!」・・・怒号が飛び、あわや殴り合いになる勢いであった。それは凄まじいまでに熱く、真摯な思いであった。厳しい現実に葛藤もある。角突きはいわば道楽であり、金銭的には一銭の得にもならない。それぞれの生活が大変な状況になっていて角突きどころではないというのに、いや、それだからこそなのかも知れないが、「角突きを必ず復活させる」という熱い思いを目の当たりにして、私は深い感動を覚えずにはいられなかった。
やがて春が来た。平成17年6月5日、白山運動公園内に設置された仮設闘牛場で夢にまで見た小千谷闘牛「復活の日」がやって来たのである。
私は勿論帰省して見届けた。「小千谷に角突きの風景が戻ってきた」感動は一生忘れられないだろう。
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