あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談
「あの日あの時」 城内 40歳女性 2005年11月号
上越に住む姉が、甥っ子と二人でひょっこり遊びに来た日だった。早めの夕食を済ませ、遅くならないうちに帰れるようにと自宅で「へぎそば」を皆で食べていたところだった。子供たち(我が子と甥っ子)はさっさと食べるだけ食べてしまったら、また遊び始め、久しぶりに会う『いとこ同士』は本当に楽しそうに過ごしていた。
私は、ちょうど息子の中学の先生と電話で話をしていた。
その時!大型ダンプカーが我家に突っ込んできたのか、それとも飛行機が近くに墜落したのか・・・何が何だかわからない、これまでに経験したこともない揺れと音に、床にぺちゃんと座り込み、頭の中が真っ白になった。あまりのすごさに、地震だと理解するのに少し時間がかかった。最初の揺れがおさまった時、夫が2階にいた息子たちを助けに行った。息子たちはしっかりと、頑丈な机の下にもぐっていてくれた。あとで夫から「タンスが倒れていて、あの時机の下にいなければ下敷きになっていたかもしれない」と聞き、背筋がゾッとした。しばらくすると、次の余震が襲ってきた。揺れがおさまったところで懐中電灯を持ち、外に逃げた。隣近所も皆、外に飛び出してきた。子供たちに「大丈夫、大丈夫」と声をかけながら、肩を強く抱きしめていた。
そして、私はずっと携帯を握りしめ電話とメールで連絡を取り続けていた。部活で出かけていた長女だけが、今どこにいるのかまったくわからなかったからだ。電話はつながらず、メールを送る。待てずにまた電話をかけ、メールを送る。何度も襲ってくる余震に不気味さを感じながら・・・。しばらくしてやっと、娘から、中学校のグランドに友達と避難したとの連絡が入る。これほど携帯電話がありがたいものと思ったことはない。家族みんなで長女の無事の知らせに安堵した。
その頃カーラジオのわずかな情報で自分たちの置かれている状況を把握しながら、夫は職場に向かうことにした。家族を守りたいという気持ちを抑えながら・・・。しばらくして、余震も落ち着いてきた頃、とりあえず今夜は車の中に避難することに決め、父と母そして姉に子供を頼み、私も職場に向かった。
この日、10月23日の夜から家を離れ、再び我が子と夫、父、母と家族のみんなで顔を合わせることができたのは12日後の11月4日の夜であった。これほど家族と一緒にいることの幸せと温かさを感じたことはなかった。
一年がたとうとしている今も、あの頃のことを思い出すと胸が熱くなる。
|
|