あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談
地震の日 城内 34歳女性 2005年12月号
10月23日、その日昼間は曇りで肌寒い日でした。私は母と親戚のおばさんと三人でイカザワへ紅葉を見に行ってきました。
夕方5時ぐらいに家に戻り、一日中運転をして疲れていたのでベッドで横になっていました。母はこの日イカザワで手に入れたきのこで味噌汁を作り、ひじきの混ぜご飯を作ってました。5時45分頃母が、「夕飯の支度ができたのでご飯にしよう」と2階まで呼びに来てくれました。いつもなら1階から大声で「ご飯だよー!」って大きな声で叫ぶのだが(まあ呼ばれた私もいつもすぐ行くわけでもなく、ダラダラしている事が多いのですが)この日に限って珍しく部屋まで呼びにきたので、なんとなくすぐ台所へ行きました。
父は先に食べはじめていました。私もテーブルにつき、最初に今日の収穫のきのこの味噌汁を飲もうと手に持った瞬間!!唖然!地震だとすぐにわかりましたが、あまりの凄まじい突き上げる揺れに、テーブルに掴まりながら、どこか別の場所で大変なことがおこっているのだと思いました。
しかし、大変なことがおこっていたのは自分の足元だったのですね!天井の高さほどある食器棚からは、滝のようにお皿やコップが次々と流れ出るさまは今でも忘れられません。
私と父はテーブルに掴まっているのがやっとなのに、なぜか母はいち早く外に出られる窓とその横にある冷蔵庫に体をはりつかせていました。私はガスレンジ側にいた父に「ガスの元栓しめて!」窓側にいた母に「窓開けて!外に出ないでそこにいて!」と叫び、私の足元でフラフラしていた飼い犬の首根っこをつかみ、引きずりながら母の所まで行き「犬を押さえておいて」と母に犬を託し、玄関の近くにある物置まで懐中電灯を取りに行きました。
しかし、物置の中もメチャクチャで懐中電灯がどこに飛んでいってしまったかわからず、携帯電話の灯りで懐中電灯を探しました。なんとか探しだし懐中電灯を父にわたして、私は玄関から外に出て、家の前に止めておいた車を家から少し遠ざけました。私の後を追って、家から飛び出してきた犬をとりあえず車に入れ、それから仕事で家にいない姉と弟にメールをうち無事なことを知らせました。
家の前で避難している時の、生活音のない今までに感じたことのない無機質な空間、冷たい空気、きれいな月が心に強く残っています。ただ聞こえてくるのは、大地の底を不気味に走る音と、車庫のシャッターが小刻みにカタカタ揺れる音でした。
しばらくして姉が徒歩で会社から戻ってきたので、情報を得るため姉と市役所まで行きました。そこには避難してくる人や、自分の避難先を聞いている人などがいて騒然としていました。(ちなみに私も日頃防災には全く関心がなく、自分の避難場所すらわかりませんでした)そんな中、まだ本震が起こって間もないというのに報道者も来ていました。この人たちはいったいどうやってここまで来たのだろうか?と不思議に思いながら遠まきに見ていました。
それから、警察署と消防署んぼ前まで行ってみたら、大型観光バスが一台とまっていました。運転手さんが、警察の人に道路状況を聞いていました。柏崎で結婚式があり、十日町へ帰る途中に地震に遭ったそうです。どの道も駄目で長岡経由で小千谷まで来たが、小千谷からは十日町へは行けず、警察の人が「長野県から入るしかない」と言っていました。ちょうどバスの中にあるテレビがついていたのでしばらく外から地震のニュースを覗き見しながら、テレビも映るカーナビが車にあれば良かったのにと思いました。
家に一旦帰って車を親にあずけ、私と姉はまた市役所へ行き、そこに用意されてあった市のマイクロバスの中で一夜をあかしました。結局眠れず、時間が経つにつれて、報道車や県外の消防隊、自衛隊が車列を組んで続々と集まってくる光景をバスの窓から漠然と見ていました。
うっすら明るくなってきたころ家に戻りました。弟も川口近くの現場から朝帰ってきて、家族全員顔を合わせることができました。
家の周りには瓦が散乱、車にも瓦のあたったあとが無数にあり、地震の時すぐに家から飛び出さなくて良かったとつくづく感じました。また、地震直前まで横になっていたベットの上には大きなスタンドが倒れており、母親が呼びに来てくれなかったらと思うとゾッとしました。さらに、犬もよほど怖かったのでしょう!いままでに嗅いだことがないような強烈な悪臭をだしていました。犬を3日間避難させていた車の中は消臭しても半年くらいは臭さがとれず、動物も強いストレスを感じていたのだと思います。
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