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2004年10月23日午後5時56分

今までに体験したことのない揺れが小千谷市を襲いました。
新潟県中越大震災。山が崩れ、道路は陥没し、ライフラインもすべて寸断。
暗闇の中、次々と襲う大きな余震は人々を恐怖と混乱に陥れました。

あの日、あの時。小千谷市ボランティアセンター発行の広報紙「いーねか」には
小千谷市民から寄せられた、たくさんの体験談が掲載されています。
震災の語り部としてご紹介させていただきます。
いーねか震災復旧状況の写真はこちらから
「いーねか」定価800円 
あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談

地震の日 城内 34歳女性 2005年12月号

10月23日、その日昼間は曇りで肌寒い日でした。私は母と親戚のおばさんと三人でイカザワへ紅葉を見に行ってきました。
夕方5時ぐらいに家に戻り、一日中運転をして疲れていたのでベッドで横になっていました。母はこの日イカザワで手に入れたきのこで味噌汁を作り、ひじきの混ぜご飯を作ってました。5時45分頃母が、「夕飯の支度ができたのでご飯にしよう」と2階まで呼びに来てくれました。いつもなら1階から大声で「ご飯だよー!」って大きな声で叫ぶのだが(まあ呼ばれた私もいつもすぐ行くわけでもなく、ダラダラしている事が多いのですが)この日に限って珍しく部屋まで呼びにきたので、なんとなくすぐ台所へ行きました。
父は先に食べはじめていました。私もテーブルにつき、最初に今日の収穫のきのこの味噌汁を飲もうと手に持った瞬間!!唖然!地震だとすぐにわかりましたが、あまりの凄まじい突き上げる揺れに、テーブルに掴まりながら、どこか別の場所で大変なことがおこっているのだと思いました。
しかし、大変なことがおこっていたのは自分の足元だったのですね!天井の高さほどある食器棚からは、滝のようにお皿やコップが次々と流れ出るさまは今でも忘れられません。

私と父はテーブルに掴まっているのがやっとなのに、なぜか母はいち早く外に出られる窓とその横にある冷蔵庫に体をはりつかせていました。私はガスレンジ側にいた父に「ガスの元栓しめて!」窓側にいた母に「窓開けて!外に出ないでそこにいて!」と叫び、私の足元でフラフラしていた飼い犬の首根っこをつかみ、引きずりながら母の所まで行き「犬を押さえておいて」と母に犬を託し、玄関の近くにある物置まで懐中電灯を取りに行きました。
しかし、物置の中もメチャクチャで懐中電灯がどこに飛んでいってしまったかわからず、携帯電話の灯りで懐中電灯を探しました。なんとか探しだし懐中電灯を父にわたして、私は玄関から外に出て、家の前に止めておいた車を家から少し遠ざけました。私の後を追って、家から飛び出してきた犬をとりあえず車に入れ、それから仕事で家にいない姉と弟にメールをうち無事なことを知らせました。

家の前で避難している時の、生活音のない今までに感じたことのない無機質な空間、冷たい空気、きれいな月が心に強く残っています。ただ聞こえてくるのは、大地の底を不気味に走る音と、車庫のシャッターが小刻みにカタカタ揺れる音でした。

しばらくして姉が徒歩で会社から戻ってきたので、情報を得るため姉と市役所まで行きました。そこには避難してくる人や、自分の避難先を聞いている人などがいて騒然としていました。(ちなみに私も日頃防災には全く関心がなく、自分の避難場所すらわかりませんでした)そんな中、まだ本震が起こって間もないというのに報道者も来ていました。この人たちはいったいどうやってここまで来たのだろうか?と不思議に思いながら遠まきに見ていました。
それから、警察署と消防署んぼ前まで行ってみたら、大型観光バスが一台とまっていました。運転手さんが、警察の人に道路状況を聞いていました。柏崎で結婚式があり、十日町へ帰る途中に地震に遭ったそうです。どの道も駄目で長岡経由で小千谷まで来たが、小千谷からは十日町へは行けず、警察の人が「長野県から入るしかない」と言っていました。ちょうどバスの中にあるテレビがついていたのでしばらく外から地震のニュースを覗き見しながら、テレビも映るカーナビが車にあれば良かったのにと思いました。

家に一旦帰って車を親にあずけ、私と姉はまた市役所へ行き、そこに用意されてあった市のマイクロバスの中で一夜をあかしました。結局眠れず、時間が経つにつれて、報道車や県外の消防隊、自衛隊が車列を組んで続々と集まってくる光景をバスの窓から漠然と見ていました。
うっすら明るくなってきたころ家に戻りました。弟も川口近くの現場から朝帰ってきて、家族全員顔を合わせることができました。

家の周りには瓦が散乱、車にも瓦のあたったあとが無数にあり、地震の時すぐに家から飛び出さなくて良かったとつくづく感じました。また、地震直前まで横になっていたベットの上には大きなスタンドが倒れており、母親が呼びに来てくれなかったらと思うとゾッとしました。さらに、犬もよほど怖かったのでしょう!いままでに嗅いだことがないような強烈な悪臭をだしていました。犬を3日間避難させていた車の中は消臭しても半年くらいは臭さがとれず、動物も強いストレスを感じていたのだと思います。
あの日あの時 2004年10月23日 みんなの体験談

震災と自主防災活動 千谷川 63歳男性 2005年12月号

その時、私は毎週末に訪ねてくる娘親子と夕食には孫の大好きな小千谷そばを食べに行く約束を楽しみに、帰宅したらすぐお風呂に入れるようにと風呂場の掃除をしていました。娘婿は二階で娘から「今ジャスコを出て家に向かいます」との電話を受けたその1〜2分後の時でした。あの恐ろしい破壊音と家の揺れは今まで体験したことも無い激しさで思いだしたくもありません。
暗闇の中、娘婿と声をかけあい、屋外に飛び出しました。どのようにして出たのか全く記憶にありません。娘たちの車が戻って来たので車庫に入れ、道路に避難した近所の皆さんと「凄かったね!びっくりしただろう!○○ちゃん(11月末に2歳になる孫の名前)は大丈夫だった!」と話を始めた時に2度目の激震が襲ってきました。近所の皆さんと隣家の車庫前の広場に集まり私は孫の上に覆いかぶさり、地面に伏せて、せめて孫だけはケガをさせてはならないと思いました。
その時、家の車庫前にコンクリートの塊が電柱から落ちてきました(翌朝になってわかったことは、コンクリートの塊は我が家の基礎が欠けて落ちた塊でした)電柱のトランスが2個とも半分落ちかけ、電線が大きく揺れていたので切れないか、また電柱が倒れてこないか心配で見上げるのが唯一できる事でした。
その後も次々襲ってくる余震に泣き出す子供や怯えで体の震えが止まらない人等を「大丈夫!大丈夫!直ぐ終わるから」とお互い励まし合いながら満天の星空を眺めていました。

町内の防災会は地震直後から活動を開始しました。防災会長(町内会長)は地震で段差が生じた道路、ガラスの散らばった小路等を軽自動車で何回となく見回り、町民を励まし安全の確認に駆け回ってくれました。防災会より午後10時ころ厳しい冷え込みになってきたので、屋外から車の中や車庫に入るようにとの指示が出ましたので、我が家も全員が車庫に入りました。娘と孫は車庫の車の中に、我々は地震でシャッターが開かなくなると困るのでシャッターを開けたまま寒さに凍えながら毛布等で暖を取り、余震がくるたびにけたたましく鳴る救急車のサイレンの音とヘリコプターの爆音に眠れない夜を過ごしました。

24日朝7時から防災会役員で町内を巡回し被災状況を調査、家屋の損壊、石垣・ブロック塀の崩壊、崖の崩落、道路の陥没・亀裂等50箇所余りを確認、午前10時小千谷市の災害対策本部に出向き主な被害状況を報告してきました。
隣の元町等で家屋の倒壊等大被害が発生していたのに関わらず、幸いにも町内の被害状況は比較的少なく家屋の全壊なし、怪我人は各町内班長さんから左手骨折1名、左足小指骨折1名、右足首捻挫1名の報告がありましたが重傷者は無く安心しました。

その後、千谷川自主防災会の災害対策本部を設置し救援・情報収集活動を開始しました。市の災害対策本部から24日の昼におにぎりの配給がありますとの連絡があり待つこと3時間、まもなく届いたおにぎりは各戸の家族数に関係なく1個でしたがおいしく分けあっていただきました。午後4時余震の続く状況下で不安な夜を前に、会長より「昨夜と同様の常時避難できる体制をとり町民の安全対策に万全を期するように」との指令があり各委員で対応しました。
25日午前に給水車(熊谷市水道局)が町内3箇所で給水を始めてくれ何処も長い行列が出来ました。午後からは食料支援も始まり1日2回各1000食分、11月3日からは食料の自給が出来るようになってきたことから600食分を配給していただき町内協議委員・班長さん等皆さんの協力で各家庭に配給を実施しました。
26日市立北保育所が町内の指定避難所になり防災委員が昼夜交代で管理当番をしました(10月31日閉鎖まで)。26日〜27日にかけて青森県等から救援に駆け付けてくださった工事関係者の懸命な復旧作業により町内の全域で停電が解消久しぶりの明るい夜を迎えることができました。30日地域消防団の協力を得て急傾斜地の崩落個所や河川の土手の亀裂が入った箇所をブルーシートで覆いをしました。
11月5日ほぼ町内の全域に待望の水道を供給できると水道局から電話がありました。ライフラインの復旧工事がほぼ終了したことから、11月6日会長が市災害対策本部に出向き今までの食料支援のお礼と中止を報告。10月24日以来毎日2回開催してきた災害対策会議を終了し、町内災害対策本部は暫くの間会長宅に置くこととし自主防災会の活動を終了しました。

町内防災会は平成9年4月発足し(町内会役員が防災会役員を兼務)7月の茶郷川の洪水による堤防の土嚢積み作業や河川流域の宮田町住民の避難、10月の中越地震による救援活動と防災会創設以来未曾有の体験をしましたが、防災会長の下統制のとれた活動をすることが出来うまく機能したのではないかと思っています。

地震災害直後から救援活動をしてくださった熊谷市水道局の皆様、青森県等各地から駆けつけライフラインの復旧に昼夜活動してくださった工事関係者の皆様、食料支援等大量な救助物資を支援して下さいました全国の皆様に対して心から感謝申し上げます。
●バックナンバー
NO10 2005年12月号掲載分
NO9 2005年11月号掲載分
NO8 2005年10月号掲載分
NO7 2005年10月号掲載分
NO6 2005年9月号、10月号掲載分
NO5 2005年7月号、9月号掲載分
NO4 2005年7月号〜9月号掲載分
NO3 2005年5月号〜6月号掲載分
NO2 2005年4月号〜5月号掲載分
NO1 2005年4月号掲載分
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