むかし、地獄谷は山桜の美しく咲く谷なので、桜谷と呼ばれていたと言われます。
この谷の上にあった時水城は、越後の守護上杉憲顕の将、曽根氏代々の居城でした。上杉謙信が守護代になったころ、城主は曽根五郎左ェ門という人でした。
守護方の五郎左ェ門は、守護代の命に従わなかったため、謙信は「ひゆ城」の平子(たいらこ)孫太郎に、五郎左ェ門を攻め亡ぼすよう命令しました。
小千谷をはさんで、東と西にそびえる「ひゆ城」と「時水城」の間に、はげしい戦が始まりました。孫太郎も五郎左ェ門も名将だったので、なかなか勝負がつきません。
ある戦のとき、時水方は負けて逃げるふりをして、ひゆ方の二百人ほどの兵を、桜谷へさそいこみました。
この谷は、地形が入りくんでいて、狐や兎などもこの谷へ追い込まれると、方向を見失って、つかまってしまうといわれていました。
この不思議な谷に入って迷っているひゆ方の兵に向かって、谷を取り囲んで隠れていた時水方の兵が、一斉に攻めかかりました。
ひゆ方はここで、一兵残らず討ち取られてしまいました。それはまるで地獄のようなむごたらしさで、戦が終わったのちのちまでも、兵士たちのうめき叫ぶ声が、谷底から聞こえてきたということです。
それからのち、この谷を地獄谷というようになりました。
しかし、やがて時水城は落城し、曽根五郎左ェ門は出家の姿に身をやつして、京都に落ちのびたと伝えられています。
小千谷に唄いつがれている「天神ばやし」は、このときの平子方の勝利を祝う唄から始まったのだといわれています。
※※※越後小千谷 天神ばやし※※※
一.目出度いこれの お台所 お台所 お釜八つに ナーエ うしろに 蔵が九つ
一.御門の上の うぐいすがうぐいすが この家旦那様ィ 知行増せ 増せとさえずる
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 雪の残る時水城、通称「城山(じょうやま)」です。 地獄谷はこの山の麓にあります。 |
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