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かる旅 「し」

「慈眼寺は 河井、岩村 談判場」
慈眼寺は、飛鳥時代第40代天皇である天武天皇の時代(673〜686年)に建立された。
時は流れて江戸時代後期、明治維新を迎えた日本は、公武どちらに属するか選択しなければならない状況であった。どちらにも属さない武装中立の姿勢を貫こうとする長岡藩家老・河井継之助は、慶応4年(1868年)5月2日に西軍土佐藩士・ 岩村精一郎と談判を行った。しかし岩村精一郎はわずか30分で席を立ち、この談判は決裂してしまう。この談判の決裂が北越戊辰戦争に大きな影響を与えた。長岡藩は徹底抗戦に入り、乱戦の末長岡城は落城した。
一度は中越震災で被害にあったが、その後復元し、慈眼寺には関係資料と共に談判の場所が保存されており、当時の様子を偲ぶことができる。
また、中越震災の際の町の復元の様子や、地震体験などをすることができる「おぢや震災ミュージアムそなえ館」もおすすめスポットである。
スポット情報
名称:慈眼寺/住所:小千谷市平成2-3-35/駐車場:無/ホームページ: 慈眼寺ホームページ



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